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>[オススメ映画&ドラマ]<火の魚>より、つづき
■ドラマ「火の魚」のあらすじ
広島の小さな島から届けられる物語。
テーマは「命の輝き」。島に住む老作家の村田省三(69歳・原田芳雄)のもとに、原稿を受け取るため東京の出版社から女性編集者の折見とち子(28歳・尾野真千子)が通ってくる。
小説家と編集者は、歳は違うがプロ同士。互いに一歩も譲らず、丁々発止のバトルが繰り広げられる。
あるとき小説の装丁を、燃えるような金魚の「魚拓」にしたいと思いついた村田は、折見に魚拓を作ることを命じる。魚拓をとるには、金魚を殺さなければならない。小さな命を巡って、二人の間にさざなみが立つ。
やがて村田は、折見の秘密を知ることになる・・・。
ぶつかりあい、いたわりあい、笑いあう。世間から取り残された孤独な老人と、時間を
慈しむように生きる女性がすごすひと夏。命が輝くユーモラスでほろ苦い物語を、瀬戸内・大崎下島を舞台に描く。 (NHK広島放送局広報資料より)
■大崎下島
瀬戸内海のほぼ中央に位置し、全国屈指の温州ミカンの産地。
古い民家や史跡が数多く残され、1994年に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
面積17,82ku、海岸線長26.0km、人口2897人(2005年)。広島県・呉市に属し、竹原市竹原港から高速艇で約40分の距離にあるが、四国の今治港とは25分で連絡するので、商圏は私の故郷でもある愛媛県に属している。
■ふるさとは遠きにありて
犀星は石川県金沢市の出身で、市内を流れる犀川の近くで生まれた。
ペンネームの 犀星もここから得たのであろう。
21歳のとき文人を夢見て、複雑な出生と過酷な青年期を過ごした金沢・故郷を捨てて東京へ。
貧困のどん底の中で詩作を続け、食い詰めると金沢に帰ったという。
小 景 異 情
ふるさとは遠きにありて思うもの
そして悲しくうたうもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
※1918年(大正7)所収
■村田省三のふるさと
ドラマ「火の魚」の主人公・村田の故郷を、瀬戸内海の大崎下島に設定したことが、
この作品の価値を高めたと言っていいだろう。村田は10年前に島に帰っている。それまで「37歳で直木賞を獲り、42歳のとき代表作を発表し、文壇のプレスリーと呼ばれ、どこへ行ってもよくもてた。毎晩銀座で遊んだ。煙草を日に3箱も吸い、浴びるほどの酒を飲んだ。そういう放蕩無頼な生き方を、作家の使命のように思い込んでいた。すべてを止めたのは、胃に腫瘍が見つかってからだ。切らないと分からないと言われ一時は死さえ覚悟したが、結果は良性だった。だが俺にとっては、それで十分だった。一切の虚勢を捨てることにした。所詮、気の小さい田舎者なのだ。島の暮らしが性に合う。
けれど闘うことを止めたと同時に俺の小説もまた、形骸化したということなのだろう。」
「俺は死に怯えながら、死んだように生きて」69歳になっている。そんなとき編集
者の折見とち子が、初めて訪ねてくる。
村田は、東京の生活と一切縁を切ったというのではなく、まだ未練が残っている。その例が、東京の出版社の従前からの編集者を、毎回連載中の原稿を受け取りに、島へ来させていることにもある。郵送やFAXで済まさないのは、馴染みの編集者からの情報を生で触れたいからだろう。とち子ではそれが聞けないから、追い返したのだ。また珈琲を飲むシヨットがあるが、村田のお気に入りの東京の行きつけの、喫茶店のコーヒー豆を編集者が手土産に、いつも持参していたのではないだろうか。
犀星のふるさととは、金沢を想って詠ったのでなく、東京への生活に復帰したいからだという。詩のふるさとは東京なのだ。村田にもそれが言える。「火の魚」の主人公の終の棲家は、この意味でドラマ「帽子」と同じ呉市(大崎下島)になったのも肯ける。
■赤い金魚・黒い金魚
金魚鉢に夫婦の赤い金魚と黒い金魚が、ユラユラと泳いでいる。
赤い金魚「ねえ、ちよっと」
黒い金魚「なんじゃ」
赤い金魚「あれ例の有名人じゃない」
黒い金魚「有名人、どれが」
赤い金魚「あそこ」
船着き場の待合室のベンチに村田が座っている。
黒い金魚「なんじゃ、村田とこの省三か」
赤い金魚「やっぱり、例の売れっ子作家先生じゃろう」
黒い金魚「ふん、作家先生言うたって、ポルノじみた話ばっかり書いとるらしいで、
本屋のばあさんがよう怒っとる。村田の本なんか島の恥じゃ。うちゃ置
かん言うてのう」
カメラが引くと、この会話は金魚でなくて、初老の夫婦であることが判る。
なかなか面白いタイトルに相応しい、プロローグだ。
老いた妻「船乗って、どこへ行くんじゃろ、珍しい」
老いた夫「あれも東京じゃあ派手に遊び暮らしとったらしいがのう、10年前なん
か知らんが急に島に戻ってきよった。ほんじやが島の人間とは一切付き
合おうとせんし、カミさんも子供もおらんけんのう。売れっ子作家言う
たって、所詮は孤独な年寄りよ。哀れなもんじゃのう」
■大 東 寺
村田は原稿を受け取りにきたとち子を、大人げなく追い返す。
とち子は出版社に連絡するが怒鳴られる。次の連絡船まで5時間半もある。
海岸で海藻を持った少年が立っている。近づくとち子の、このドラマで最高の笑顔が眩しい。
村田は買い物をするため、海岸通りを歩いていると、砂浜に海藻で書かれた巨大な竜(横18m×縦10m)に驚く。買い物をする村田と雑貨店の若夫婦の会話が面白い。
村田は前に買った林檎と茄子が、不良品だったので今回の料金から、280円値引きせよとのメモを渡す。奥の方でパソコンを打っている夫が、負けられないと言えとのメッセージを送る。
若い妻「先生、うちも小さい店なんで、あんまり、そう細かいこと言われても」
村 田「小さかろうが大きかろうが、店は商品に責任取るもんだ。はやく引け」
海岸で海藻を持っていた少年が店に入ってくる。
少 年「おねえちゃん、今度いつ来るん」
若い妻「はあ、あんた何言よるん」
少年が若夫婦の息子であることが判る。
少 年「竜かいてくれたん」
若い妻「りゅう」
少 年「おねぇちゃん、竜かいてくれたん。海のとこ。また来る」
村田は海岸で見た竜を描いたのが、とち子であったことを察知する。
動揺する村田。
村 田「おつり」
若い妻「さっき渡しましたよ」
村田、ポケットに入っていた50円玉を取り出す。
買い物をしたとき、釣り銭を受け取ったかどうか判らなくなるときがある。
村田の心境が伺える演出が冴える。
村田は東京の編集長に電話をし、船を待っているとち子に原稿を渡すので、
連絡することを告げる。
再度、とち子は村田宅を訪ね、原稿を受け取る。
村 田「竜はお前が描いたのか」
とち子「はい」
村 田「砂浜の竜だ」
とち子「ああ、はい。船の待ち時間が長かったものですから」
村 田「絵をやってたのか」
とち子「大学時代から人形劇サークルに所属しておりまして、その舞台美術をずっ
と自分で作っております」
村 田「人形劇」
とち子「はい」
村 田「お前が」
とち子「あの原稿読ませて頂いてよろしいでしょうか」
村 田「見せろ」
とち子「はぁ」
村 田「その人形劇だ。今度、原稿を取りにくるついでにやって見せろ」
とち子「めっそうもない。ただの素人芸でございます」
村 田「馬鹿、俺じゃない。島のこどもに見せるんだ」
とち子「あ・・・」
村 田「娯楽の乏しい島だからな。引き受けるなら、お前を俺の担当にしてやる」
とち子が描いたのが何故、竜なのか気になった。最初は村田と村田を演ずる原田氏が
辰(竜)年の生まれなのでと、かくいう私も辰年生まれだからでもある。
そうではなく人形劇の会場となる大東寺にあることに気が付いた。
大東寺は1724年に御手洗町人が隠居していた庵が、のちに登光寺と呼ばれるようになり、1825年本堂が新たに建立された。
その後、同じく浄土真宗に属する隆法寺と1924年に合併し、大東寺と改名され、登光寺が現在の大東寺に引き継がれた。
なお本堂には、京都の彫刻師が大木のケヤキの厚み生かして彫った、三羽の迦陵頻伽と雌雄の竜の欄間があるという。(広島県観光ホームページ)
改名された1924年(大正13)が気になった。
改名は大東亜戦争つまりアジア・太平洋戦争に因んで付けられたのではないか。
1942年(昭和17)の間違いではないのか。
担当課に連絡すると、折り返して電話があり間違いであることが判明した。
大崎下島という、静かで小さな島にも戦争の痕跡があることに驚いている。
迦陵頻伽(かりょうびんが)とは、上半身が人で、下半身が鳥の仏教における想像上の生物。
大徳寺(京都市)内に、千利休が建立した金毛閣の中に、長谷川等白の筆になる秀逸な絵がある。
大東寺が影絵劇(人形劇)の会場になった。普通この種の会場は、島の公民館といえる。
交渉の窓口・公演の事務局ともいえるのは、村田が当たらずをえないだろう。
人気作家であった村田に、県や市町村から文芸講演会の、講師依頼があったのは想像にかたくない。
それをことごとく断っているので、いまさら公民舘を貸してとは、言えなかったのではないか。
大東寺は先祖代々の墓もあり、住職とは世間並みの付き合いもあったので、借りることができたのだろう。
宣伝チラシは、こども向けに、とち子が可愛らしく作ったのだろう。
会場の大東寺の境内を元気よく走ってくる、児童3人。のっそりと村田が現れるカメラワークがいい。
■幸福な王子
原作での人形劇は、日本の民話劇が取り上げられているが、ドラマではアイルランド
出身作家のオスカー・ワイルド(1854―1900)作「幸福な王子」が、とち子により上演されている。
ある街の柱の上に幸福な王子の像が立っていた。両目には青いサファイア、腰の剣
には真っ赤なルビーが輝き、体は金箔に包まれていて、心臓は鉛で作られていた。
とても美しい王子は街の人々の自慢だった。
渡り鳥であるが故に、エジプトに旅に出ようとしていた、ツバメが寝床を探し、
王子の像の足元で寝ようとすると、突然上から大粒の涙が降ってくる。
王子はこの場所から見える不幸な人々に、自分の宝石をあげてきて欲しいと、
ツバメに頼む。
ツバメは言われた通り、ルビーを病気の子供がいる貧しい母親に、
サファイアを飢えた若い劇作家と幼いマッチ売りの少女に持っていく。
ツバメは街を飛び、両目をなくし目の見えなくなった王子に、色々な話を聞かせる。
王子はツバメの話を聞き、まだたくさんの不幸な人々に、自分の体の金箔を剥がし、
分け与えて欲しいと頼む。
やがて冬が訪れ、王子はみすぼらしい姿になり、南の国へ渡り損ねたツバメも弱って
いく。死を悟ったツバメは最後の、力を振り絞って飛び上がり、王子にキスをして足元で
力尽きる。その瞬間、王子の鉛の心臓は音を立て、二つに割れてしまった。
みすぼらしい姿になった王子の象は、心無い人々によって、柱から取り外され、
溶鉱炉で溶かされたが、鉛の心臓だけは溶けず、ツバメと一緒にゴミ溜めにすてられた。
時を同じく天国では、下界の様子を見ていた神様が天使に「この街で最も尊きものを
二つ持ってきなさい」と命じた。天使はゴミ溜めに捨てられた、王子の鉛の心臓と死んだ
ツバメを持ってくる。
神様は天使を褒め、そして王子とツバメは楽園で永遠に幸福になった。
村田は人形劇をみて「それは見事な影絵による、美しい劇であった」と評価する。
とち子は、それでも久しぶりぶりだったので、ツバメが死ぬところでセリフを急ぎすぎたという。
数十名が集まった島のこども達の感想は?と思ったら、祖母と孫娘を
連れてきて、「この子がそりゃあ喜んどりました。また見せてやって下さい」
「幸福な王子」は男の子よりも女の子の方が、感動する作品で「ありがとうござい
ました」とお礼を言いにくる。次回作が村田の薦めもあって「一寸法師」と「浦島太
郎」へと続いていく。
■島の理解者
村田はとち子を好ましく思い始める。
それまで村田は、とち子にお茶の一杯も出してなかったのだが、金魚の模様の入ったコーヒーカップをも用意しようとする。
人形劇を島のこども達に見せることを提案し上演する、いわば共同作業を通じて二人の心が通い合う。
村田はそんな変化に戸惑っていく。
島の人達は、村田の作品をどう受け取っていたのだろうか。
村田は自分の作品を正当に評価してくれる、島在住の人を捜していたのではないだろうか。
私はこのことについて、プロローグで本屋の女主人(藤山喜子)が村田の最近作を、
酷評していることについて注目した。
島で唯一の本屋だろう、古い看板の「国定教科書取次販売店」が掛かっていている。
数多くの文芸書が展示されていて、活字文化を担って来たことが伺える。
女主人は最盛期の村田の作品を揃えて、島の作家として尊敬していたのでは、ないだろうか。
村田が本屋にきているシヨットとともに、村田のナレーションが重なる。
「年寄りは人を嫌うことなら得意である」
女主人が埃叩きを持って、早く帰って欲しいの表情。
「憎みあい、ひがみあい、そねみあい、それらは年寄りに残された唯一のゲームで
お互いこれで暇をつぶせているふしもある。」
村田は唾を付けてページをめくり、背表紙を逆にして、本を元に返す徹底した嫌味な行ないである。
少なくとも作家、意識的な嫌がらせでもある。この裏には村田の島で唯一の理解者なりうるだろう、女主人への仲良くしたいとの、行為が潜んでいるのではないかと思っている。
村田は店を出ると、店先にあった雑巾バケツを、蹴っ飛ばす。
近くの犬の鳴き声に被さり、
「ゆえにそんなことには傷つかない」
とち子への想いを込めて
「傷つくのはむしろ、相手を好ましく思ったときだ」
に繋がっていく。
■冥途珈琲の冥土
私は村田の作品を巡っての村田と、とち子との論争が、このドラマで一番面白かった。
村田の家で原稿を読み終わった、とち子へ
村 田「どう思う」
とち子「はぁ」
村 田「感想を言えよ」
とち子「とても素晴らしいと思います」
村 田「どこが」
とち子「まず金魚の存在感が際だっていますし、展開と構成も」
村 田「お前の好きな作家は誰だ」
とち子「はい」
村 田「三人あげてみろ」
とち子「カポーティ、チェーホフ、横光利一でしょうか」
◎カポーティ(1924―1984)アメリカの作家。
オオドリー・ヘプバンの主演で映画にもなった「ティファニーで朝食を」や
「冷血」がある。
読売テレビで関西圏を中心に、何故か東京に放送されない「たかじんの
そこまで言って委員会」という人気番組がある。右翼的な論客が多い中に
あって、孤軍奮闘する田嶋陽子氏(元・参議院議員)が、レギュラーとして
参加している。先日森善朗氏(元・首相)が参加している、放送を見た。
その中で「あなたにとって仕事とは」何かを各ゲストに聞く質問コーナーがあった。
ファーブル、ビスマルク等の著名人、6人の格言の最後に、カポーティがあった。
仕事とは
他になすべきことを
持たない人々の
逃げ場である
今回の作品に出逢わなかったら、記憶に残らなかっただろう。
◎チェーホフ(1860―1904)ロシアの劇作家。
「三人姉妹」「桜の園」 がある。
彼の戯曲は、モスクワ芸術座の不朽のレパートリーになっているが、
日本でも築地小劇場以来、数多く上演されている。
◎横光利一(1898―1947)福島県北会津群出身の作家・俳人。
菊池寛に師事し、川端康成と共に新感覚派として活躍。
「上海」「旅愁」がある。
村 田「それを読んで素晴らしいと思うお前が、本当にこれを読んで素晴らしいと
思うのか」
とち子「申しあげてよろしいのでしょうか」
村 田「言え」
とち子「実は思っておりません」
村 田「なんで嘘をつく」
とち子「仕事でございますので」
村 田「馬鹿にするな。言っとくがな、俺は全てわかってるんだよ。俺の書くものが
実に下劣で、なんら芸術的価値のない売文に過ぎないということも。
お前ら編集者が俺という作家を、 内心見下しているということもな。
どうせ俺の本なんて、一冊たりとも読んだことないだろう。どうだ。俺を
なめるんじゃない。全てお見通しだ。バカ野郎」
とち子「お言葉ですが」
村 田「なんだ」
とち子「私は先生の作品はすべて拝読しています」
村 田「コケにするのか」
とち子「せっかくの機会ですので申し上げますと」
村 田「ああ」
とち子「僭越ながら先生の最高傑作は42歳のときにお書きになられた「陰影」と
存じます。 とはいえ、当時の作品はどれも素晴らしいです。一見オーソ
ドックスな官能小説でありながら、極めて上質な文体。叙情性とアイロニー。
まぎれもなく先生にしかお書きになれない小説世界でした。でもそれが突然
劣化するのは、島に引きこまれてからの作品群です。先生、私は先生を
見下してはおりませんが失望はしております。いやもう腹が立って仕方があり
ません。あれほどの作家が何を怠けているのかと。真面目にやる気があるの
かと。確かに売文のやまです。とりわけ女性の描写のひどいこと。特に金魚娘、
あれはいただけません。赤いミニスカートと白い太ももの描写ばかりなのはまだ
よしとして、あまりにも頭がからっぽ。あまりにも男に都合が良すぎます。
ああ言うのは、いわばメイドカフェのメイドと同じです」
村田のキャステングについては、映画「父と暮らせば」の原田芳雄氏が直ぐに、連想できる。
本作品が原田氏に負うことが大きい。しかし「萌の朱雀」(もえのすざく) 「殯の森」(もがりのもり)の
河瀬直美監督作品に出演している、尾野真千子を折見とち子に起用したスタッフの慧眼こそが、
愁眉といえる。
■金魚の魚拓
連載中の小説が終えて、単行本にするための装幀の打合せを行なったとき、次の会話がある。
村 田「お前なあ怖いものないのか」
とち子「そうですね、死ぬのは怖いです」
村 田「何言ってんだ、若いくせしやがって」
とち子「年は関係ありません」
村 田「お前に何がわかるんだ」
村田は、小説の表紙を金魚の魚拓にすることを思いつく。
村 田「金魚の魚拓にするか」
とち子「はぁ」
村 田「小説の表紙だ、お前がとれ」
とち子「まさか」
村 田「うん。あいつのだ」
とち子「でも、死んでしまいます」
村 田「分かっているよ」
とち子「でも可愛がっておられたのでは」
村 田「だから何だ、おまえ、父親のを手伝ってと言ったじゃあないか」
とち子「それは父が釣ってきた鯛とか鰺とか、そういった」
村 田「同じ魚だろう。なにかこの世に死んでいい魚と悪い魚があり、金魚は死んでは
いけない魚だと、お前はそう思っているだろう。そして人間は誰しも自分を金魚だ
と思いたい。鯛や鰺のように、死にふさわしい存在ではないと」
村 田「だけど年を取ればわかる。人生ってのは金魚だったはずの自分が、魚拓にされ
るまでの物語だ。実に意外で、ひどく残酷なんだよ。耐え切れるもんじゃあない
よ。そりやぁ」
とち子「私が金魚の魚拓を取れば先生は、少しは気がおすみになりますか」
村 田「そうだな」
とち子「分かりました。今から私が申し上げるものを用意なさって下さい」
原作では、死んだ金魚を辛棒強く待って、魚拓にするのだが、ドラマでは村田が飼っていた小説のモデルにもなっていた、生きたままの金魚を魚拓せよと、村田はとち子に強いる残酷なシヨットだ。
魚拓の作業の前後に、静かな雨の、船着き場と古い街並みを入れて、とち子の心の揺れを表現する。
赤い金魚の見事な魚拓が完成する。島に虹がかかっている。
村田はお礼に、島のお美味しいものを御馳走するが、でてきたものが鯛の刺身・姿造り。
無表情であるが、せっせと食べるとち子。箸もつけられず、憮然とした面持ちの村田。
このシヨットをどう受け取ったらいいか、私には判断が難しかった。
演出の黒崎博氏がドラマ「火の魚」のスタッフ日誌で次のように書かれている。
2010年3月8日(月)
島での先行上映会
咋夏、完成直後に島の公民舘で上映会をやった。作品にも登場してくれた島の方たちが、
大勢見に来てくださり、尾野真千子さんと二人で挨拶させていただいた。
子供たちも一生懸命見てくれ、嬉しかった。
魚拓をとり終わった折身とち子が、金魚殺しの直後にもかかわらず鯛の刺身を食
べるシーンがある。シリアスな意味合いもあるこのシーンで、女性を中心に島の人
たちから笑い声がひろがったのだ。それが作り手としてはとても嬉しかった。
そう
「どんなキツイことがあっても、悩んでも、飯は食うのだ。」
「家族のために、母ちゃんは飯を作るのだ」
当たり前のことを当たり前に受け止めてもらえた。
そして、島の女性たちは、明るく、強いなぁと思った次第。
ドラマ撮影は、ロケ地の人に大変な迷惑をかける。だから、せめて作品を楽しんでほしいと願う。それしかお返ししようがない
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島の女性の皆さんの意外とも言える感性。リアリストでもある。
■とち子の入院
村田はとち子が、2年前にガンの手術していて、今回それが再発して入院中であることを知り愕然となる。
10年ぶりに島を出て、10年ぶりの飛行機(高速艇の到着する竹原市竹原港は、新幹線より広島空港の方が地理的にも近く、短時間で行ける。村田は1時間でも早く見舞いたかったのだろう)10年ぶりの東京。
村田は2万円も出して豪華な花束を買う。文壇のプレスリーと呼ばれ、毎晩銀座で遊んでいたころ、2万円が相場だったのだろう。赤いバラの花束を持って病室を訪ねるが、とち子は散歩でも行ったのか、いないという。
辺りを探して階下を見下ろすと、とち子が点滴ワゴンを付けたまま、ベンチにパジャマのまま座っている。
視線が合う2人。急いで降りる村田。しかしとち子はいない逃げたのだ。
病院正面の前に、ベンチおも兼ねた階段があり、病院の2階バルコニーからは、座り続けている村田が良く見える。
とち子「ご無沙汰しおります先生。先生がそんな大きな花束を持ってかれこれ
2時間も座っておられるせいで、病院中の女が色めきたっております。」
ドラマのスタッフは、微細なところにも神経が行き届いている。ざわざわという女達の呟きを流す。
そしてバルコニーにも数名の女達を立たせている、念の入れようだ。
そして村田と、とち子の会話が始まると、そのざわめきが消えていく。また時間経過とともに、バルコニーの女達も居なくなる。
2時間という、空白の時間を想像してみた。とち子は村田に、同情だけはして欲しくなかったのだ。
点滴ワゴンやパジャマ姿等、もっての外だろう。病室へ逃げ帰ったのだ。
そして病室に持ち込んでいる、好きなカポーティ、チェーホフ、横光利一の本を再読していたのだ。
4人部屋の入院患者である、寺田恵子、森山久美子、村上晶子の3人は、それぞれ村田のお見舞い対象者が、どんな人だろうか喋りあっている。待ち続ける村田。それは、とち子が村田に始めてあって、村田の大人げない態度により追い返されたにも関わらず、竜を海藻で描いて、村田の目に止まり、何らかの好転を希んだ行為を連想させる。
とち子が散歩ではないかと言った、病室の担当清掃者が入室してきて、とち子に赤いバラの花束を持ってきた、お見舞い人を知っているかという。無視しょうとするとち子に、同室の3人は会うことを強く進める。
とち子の生命を考えての進言といえる。
とち子は紺のスーツに着替えている。村田の隣に腰掛ける。
とち子「無断で担当を降りましたこと、申し訳ございませんでした」
村 田「ああ」
とち子「装幀含め単行本の出版までは、弊社伊藤の方がつつがなく進めてまいる
と存じます」
村 田「分かってる」
とち子「よろしくお願いいたします」
村 田「折見」
とち子「はい」
村 田「悪かったな」
折 見「何のことでしょう」
村 田「すべてだ。気の進まない人形劇をやらせ、年寄りの愚痴を聞かせ、金魚
を殺させ、編集者として俺という作家に関わらせたこと自体を悔やんでいるよ」
村 田「俺はお前の病気のことは本当に良く知ってるんだ。ストレスだなあ、
ストレスが一番良くないんだよ」
ふと笑うとち子
村 田「なんだ」
とち子「先生、私を侮られては困ります」
とち子「むしろ逆でございます」
村 田「逆」
とち子「2年前に手術をしてから、私は自分がこの世で孤独だと思っておりました。
しかし先生は私以上にさびしい方であられました」
とち子「他人の不幸は蜜の味と申しますが、先生の無惨な孤独ぶりだけが、私の
心の慰めでした」
とち子「実は先生のところに初めて伺ったとき、伊藤の急用と申し上げましたが、
あれは嘘です。私が編集長に無理矢理頼んだのです。誰よりも私の方が
先生のことを理解して差し上げるという、妙な自信がありました」
とち子「先生」
村 田「うん」
とち子「死を意識されたことはおありですか」
村 田「ああ」
とち子「そのとき人間は、果てしなく孤独です」
とち子「でも、その孤独こそが先生と私を強くつなげてくれる気がしていました」
村 田「買ってきた、いるか」
とち子「ありがたく頂戴いたします」
とち子、花束を受け取る。
とち子「先生」
村 田「うん」
とち子「私し今、モテている気分でございます」
村 田「あながち気のせいでもないぞ」
村田立ち上がる。
村 田「行く」
とち子「はい」
とち子も立ち上がる。とち子、何か言おうとする。
村 田「何も言うな」
村 田「行け」
とち子一礼すると、病院入口に歩いていく。自動扉が開き、
東京総合医療センターと書かれた建物に消える。
何故か、とち子の入院していた、病院の東京総合医療センターが気になり、
ネットで調べて電話をした。センター事務局はこの3月1日より機構改革があり、
分からない。東京都の医療全体を掌握する広報を紹介された。
広報担当によればその件については、承知していないとのこと。
ならばと広島放送局に直接、問い合わせた。
局の担当者は、撮影は広島でとのこと。具体的には言えないといいながら、
ドラマの前記、スタッフ日誌の範囲で、ヒントを貰った。
その建物は、ヒントを基に、そのホームページに辿り着き、確認する事が出来た。
■広島・宮島
所在地が偶然ともいうべきか、わたしの故郷である、愛媛県・松山市立御幸中学校同期生である、桝井秀雄君(鈴峰女子短大教授)と同じでもあったので、そのことを確認すると、10年前に建てられたとのことだった。本作品について書いてみたと思ったのは、ドラマ「火の魚」の魅力もあるが、桝井君との共通の中学時代の国語の担任だった、S子先生に読んで欲しいからでもある。
先生は美形で、全校生徒の憧れの的だった。私はそのことにも魅かれたが、授業の内容そのものにだった。最初の授業で、カール・ブッセの「山のあなたに」を朗読していただいたり、文学への深さも学んだ。
広島・宮島に先生を桝井君等、広島在住者等5名と松山市、大阪 堺市から私の7名(男5名・女2名)が卒業以来、初めて宮島を訪ねた。先生はお元気で、光田律史君(元・中国放送局)によれば、先生か生徒か判別できんと。その後、私の書いた掲載誌紙等を送らせていただいている。
■命の輝き
連絡船に乗り、大崎下島へと向かう村田のナレーションが被さる。
村 田「折見、お前が持って生まれ、そしてお前なりに守り通すであろうその命
の長さに、俺が何の文句をつけられよう」
村 田「心配するな、俺とて後に続くのにそんなに時間はかからんさ」
村 田「だがそれでももし叶うなら、今生、また会おう・・・な」
大きな声で
村 田「煙草、吸いてー」
本当は「好きだ・愛している」なのかも知れないが、村田はできるなら「生きて」
いた10年前に戻りたかったかったのだろう。「今生、また会おう」が微かな、期
待へと膨らむ、見事なラストだ。
連絡船の名前が「かがやき1号」。技術スタッフのこだわりにも、この作品に賭け
る思いが伝わってくる。
室生犀星は「火の魚」を1960年(昭和35)3月25日、中央公論社より
自ら装幀し発行した。2年後の1962年(昭和37)3月26日肺ガンのため逝去した。
73歳だった。
■再放送への期待
「火の魚」は2009年7月24日、8月2日に中国地方向け番組として、
放送されている。
また2010年1月2日には、前年度の作品「帽子」とあわせて放送 された。
全国にはNHK―BShIで、2009年10月14日で放送されてはいるが、
地上波として、全国に放送されたのは、2010年3月13日(土)午後10時からで、
8ヶ月も待たされたことになる。
この日は東北地方で震度4の地震があり、大切な情報であるが、完璧な画像に一部乱れが生じた。
再放送を是非期待したい。
私はドラマ作りで、最低90分前後の時間が必要と思っていた。
それが本作品は 53分で収まっている。その作り方、シナリオによっては、60分以内でもいいことであることが、今回初めて体験させられた。
演出を担当された黒崎博さん、ご年齢を知り、その若さに驚いています。
そして 脚本を担当された渡辺あやさんと、スタッフの皆さんご苦労さんでした。
広島か、またどこかで良質の作品を、発信されること期待しています。
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